高山病の旅

 車内には中国のアイドル歌手の歌が流れていた。ラサに着くまでに10回ほど繰り返されたその歌を、私はいつしか口ずさめるまでになっていた。
 窓の外にはどこまでも草原が広がっていた。所々に湧き水できた池があり、、濃紺のインクを水に溶かしたような色をしている。ウサギのようなネズミのような生き物が、バスが近づくと驚いたように、巣穴に逃げ込んでいく。遠くに鹿の群れが見えた。その向こうには雪を抱いた6000m級の山が見える。
 テープが途切れると、中国の男達が民族音楽のようなものを合唱し始めた。乗客も運転手も歌っている。その歌声はなんとなく、この気色に似合っていた。
 朝10:00に、中国側のゴルムドを出発し、4,000mほどの高地をバスは行く。夕方、5時頃から強い頭痛を覚えた。高山病だ。高山病は薬では治らない。酸素を吸入するか、下山するかだ。重くならないうちに高度順化すれば問題ないが、重くなれば死に至る。
 前の席に座っていたチベット人の医者が小豆大の丸薬をくれた。これを飲めば治るとのことだったが、やはり、飲んでも一向に良くならない。コメカミの血管を触れると、太い針金が入っているようにパンパンに張っていて、それが、かなりの速さで波打っていた。波打つ度に、ズキッズキッと頭がひどく痛んだ。
 周りに何もない平原で、バスは予告もなく突然止まる。トイレ休憩だ。トイレ休憩といっても勿論トイレなどないので、乗客はバスを降りると、思い思いの場所へ散らばる。男と女がバスの左右に分かれて用を足すのだ。高山病予防のために水分を多めにとっているので、尿量が多い。
 頭痛がさらにひどくなった頃、バスは今日の目的地に着いた。23時30分頃である。電気がつかなく、ベットがあるだけの旅宿だ。電気がなく、あたりに村もないだけに、恐ろしいほどの星空だ。「降ってくるような」とは、こういう空を言うのだろう。岡山の田舎で見た空より、南アルプスの北岳で見た空より、北海道で見る空より、はるかに天の川がはっきり見える。星は、こんなにでかかったのか。
 翌朝。頭痛で4:30に目覚める。道が途中何箇所も雨で流されている。しかたなく、バスは荒地の迂回路を通るのだが、そういうときには、バスは左右に物凄く傾く。嵐の小舟という様相だ。頭痛に響く。前の医者が、「ラサにつけば良くなる」と、何度も励ましてくれた。
 外の景色は相変わらず素晴らしい。白い雲と緑の草原。木は生えていない。チベット人が羊やヤクを放牧している。上空を鷲が飛んでいる。
 15時ごろ、タングラ山口に到着。5231mだ。中国人たちは盛んに記念撮影をしているが、私は頭痛のためとてもそんな気になれない。6099mあるタングラ山も、5200mから見れば、さほど高くは見えない。今までずっと富士山より高いところを通ってきたのだ。いまさら、5200mといわれてもピンと来ない。それでも、現在までの私の最高到達点ではある。
 ナチュという町をすぎ、4700mの峠をすぎると嘘のように頭痛が引いていった。高度が下がってきたのだ。夜、9:00にダムシュンという町についたころには、ほとんど頭痛は消えていた。あれほど、長い間苦しんだのに、信じられないくらいあっさりと。
 23時。バスが急に止まった。公安の検問だ。背筋が凍った。この頃、チベットは開放地区ではなく、外国人の個人旅行は認めていなかった。あと、2時間でラサなのに。チケットを持っていない,3名の中国人がつかまっていた。下を向き、チケットを差し出した私にはお咎めなし。助かった。
  am1:30ラサに到着。これから、1ヶ月ほどラサに滞在することになる。
 私は、世界で一番好きなところはどこかと聞かれたら迷わずチベットと答える。
 もう一度、高山病になってもいいかと聞かれたら、迷わずいいと答える。
 なぜ、好きかと聞かれても、明確な―誰かが納得するような明確な―答えは出せない。
 人も、気色も、空気もいい。しかし、そんなことではない何かが 私を強烈に惹き付ける。

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